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震災日記(仮)   記述者:右弐  2011.05.02〜

2011年3月に発生した東日本大震災の際、筆者は仙台に居住していました。

本日記は、そのときに書きとめたメモ(A3の紙1枚)をもとに、後日まとめたものです。


2011.03.11

仙台市北部の地域の屋内にいるところに地震が来た。
隣のスタッフが素早く机にもぐりこんだのを見て真似る。
体感で2分以上の揺れ。本気で死ぬかもと思った。
おさまってとりあえず出ようとすると、埃っぽい。天井が崩れ落ちている。天井埋め込み式の四角いエアコンは3つの隅が外れて1つの角だけかろうじて天井とつながっており、垂れ下っている状態。
内部パーティションが崩壊して壁がなくなっている部屋もあり。天井からは水漏れ。
5分前とは全く違う光景。
とりあえず手近にあったバッグだけを持って、急いで外に出る。靴箱になっている巨大なロッカーが倒れており、靴が取り出せない。そして出口をふさいでいるので乗り越えて脱出。
このときに、コートも持って出ればよかった。外が異様に寒く、そして雪が降ってくる。足元は室内履きのスリッパで、徐々に雪で濡れてきて足の感覚がなくなってくる。

組織としての全体判断は、とりあえず解散。各自、自分の身の安全の確保と、家族の安否確認などに奔走する。
子供のいる人は、もちろん子供を真っ先に気にしていた。今下校時刻だけど大丈夫だろうか、とか、今保育園に預けている時間だけどあそこボロいから心配だとか。心配はするものの、僕の所属するチームのスタッフは誰一人として取り乱す人がいなくて非常に頼もしく誇りに思った。
余談だが、飼っている猫を心配する人も。実はうちのチームにはひとつだけ部活が存在していて、その名は「猫部」。たまに集まってふわふわしたりするという活動内容である。あとは想像にお任せする。
猫は無事かとかいう話題で一瞬なごんだところ、そういえば僕は何かこの地震で失いたくないものがあっただろうかと考えてみる。・・・何も思い浮かばない。強いて言えば、昨年夏に買ったPCだろうか。物として大事にしたくなるものを所持しない、というのはここ数年の僕のポリシーであるが、こういうときに大事なものがないというのも少しさびしいような気がしなくもなかった。
その後、余震の続く中、仲間のスタッフと車の中で待機。とりあえずある程度、状況がわかるまで車のラジオに耳を傾ける。広い駐車場に留めてある車の中は安全だ。また、こういうときに選抜されるアナウンサーはどうもベテランの男性であるらしく、落ち着いた口調で安心感を与える効果を生む。世の中、女子アナなどもてはやされる時代だが、そんなのは平時の付加価値にしかならないということなのだろう。純粋にアナウンサーとして優秀というのはこういうことなんだなと思わされる。

そうこうしていると、状況が少しずつわかってくる。どうやら、道路の損傷はそこまで激しくないようだ。
現場を離れるより前に、どうしても建物の中にある物を取り出したくなった。バッグは持ってきたが、コート、靴、PCは取り出しておきたい。しかし、余震が続く中建物の中に入るのは危険だ。
ここで、中に入っているときの余震による万が一の生命の危険と、重要アイテムの取得により今後の生命の危険の回避とをはかりにかけることになった。
とりあえずチームのメンバーに相談。みな運動能力に自信のあるメンバーばかりなので賛同を得て、4人がかりで靴箱を元に戻す。全員の靴を取り出してその辺の床に投げておく。他のアイテムも無事回収。
脱出してしばらくのち、余震で再び靴箱が倒れた音がした。危ない。靴を出しておいたのは正解だった。
とりあえず、賭けには勝った形だ。あまり推奨できる判断ではないかもしれないけれど。
みんな、地震に負けっぱなしになっているのが嫌で、何かできることをやり返してやりたい、と思っていたのかもしれない。
靴とコートを手に入れ、これで当面の生命の危機は回避できたのだが、靴下が濡れているのが痛い。履き替えを持っていればよかった。

その後、車で南に向かい市内中心部へ。
道中、セブンイレブンで物資を配っていた。ペットボトル飲料とカロリーメイト。ひとり1個ずつまで。代金はあとでいいからバーコードを持ってきてください、と言っている。格好いいなあと思った。ありがたくいただく。
後になってわかったが、このセブンイレブンのような店は本当に稀だったようだ。レベルが高い店員だった。
それに対し、マクドナルドなどは短期的に本当に何の役にも立っていない。それでいて震災後に真っ先にCMを入れるとかうわさがあったのは何だったのだろうか。企業の体質がかいま見えた気がして、以降足が遠のいているのは言うまでもない。

まあともあれ、大渋滞の中、市内中心部へ。10km足らずの道に2時間くらいかかる。
停電しているため、夕方から本当に真っ暗になり、自動車のヘッドライト以外に明かりがない。つまりは今利用できるエネルギー資源は主としてガソリンのみということだ。これはガソリンが尽きたときが本当に真っ暗だなと感じる。
その後、チームメンバーと「有事の際にはどこに集まろう」と集合点や連絡手段を確認して、各自家路につく。
途中で、発電機が置かれており携帯の充電ができるスポットがあった。充電器を持っていればよかった。
また、真っ暗な横断歩道に警察官が立って信号の代わりをしている。かっこいいなと思った。とりあえず心をこめてお疲れ様ですと叫んでみたら、ありがとうございますと返ってくる。やっぱりかっこいい。
家が無事かどうかが非常に不安だったが、歩いて1時間くらいでたどり着くと、家があった。

確か着いたのが22:30頃。
自転車のライトで照らした家がいつも通りだったのは嬉しかった。自転車のライトを外して持っていたのはラッキーだった。懐中電灯の代わりになった。
家の中は、思ったほど荒れていない。玄関に捨てる予定の本を積み上げていたのが裏目にでて侵入に苦労する。
電子ピアノが倒れていたくらいで、他に倒れた家具はなかった。PCの液晶ディスプレイは机から落ちてすらいなかった。
どうも地盤の影響が出ているらしい。ここは地盤が固いのが幸いしたようだ。
また、本棚は数日前に整理しており、下のほうに重い本を入れていたのがよかった。あと、テレビや冷蔵庫は下に敷物をしいてあったので、倒れるのではなく横に移動していた。意図したわけではない偶然なのだがこれはうまい対処だったようだ。部屋の真ん中付近までずれてきた冷蔵庫に向かって、思わず「そうか、お前もここまで出てきたんだな。よしよし。」などと語りかけたくなる(謎
自転車のライトの中でとりあえず床の上の物をどけていき、布団を敷いて寝る。
寝る前に今日のことを思い出し、地震があったときにすぐに出られるように物を身につけたりバッグにまとめたり。
何回くらい余震があったか忘れたが、疲れていたためすぐに深い眠りにつく。

この日の教訓:
・大事なものは常に一つにまとめておく。
・非常時においても、直近の危険と、その後の連続的な危険を冷静にはかりにかけて行動する。
・携帯は常にフルに充電しておく。
・携帯の充電器も持っておく。停電状況下であっても、どこで電力に出会えるかわからない。
・靴下の替えは持っておく。
・揺れたら躊躇なくすぐに身を守る。隣のスタッフが本気で潜ったのを見てから事の重大さを認識するようでは甘い。


2011.03.12

外が明るくなっていて、目が覚める。あれだけの地震でも無事だった室内なので、安心して眠れたのだろう。
そして、今日何をすべきかを考える。
・仲間に会いたい
・水分が必要
・電力が必用 とくに携帯のために
これが当面必要なことだ。家がちらかっているが、それを直すのは電気が復旧するまで待とう。

そう思い、自転車で出発。高台に住んでいるので、まず下山。
すると、途中のスーパーに行列が。店内にあるもののうち、直近の生活に必要となりそうな日用品と食料だけ販売しているようだ。並んだ末に、カップめんなどを大量に買い、かかえている人たち。きっと、家にいる家族の分もなのだろう。
営業している店のほうが少なく、その営業している店も、品物が尽きたら「今日は閉店です。品物が到着し次第、また営業します」的な感じである。

この一連の流れを見て、ひとつ僕の行動コンセプトが決まる。
「列には並ばない」
たぶん、この震災で僕は死なないだろう。そして、現在、短期的に見て困窮度も低い。列に並ぶ以外に、試してみたい方法はいくらでもあるし、そういう方向に動くのも得意なほうの人間だ。
つまり、この地にいる人々の中で比較的サバイバル能力の高いであろう僕は、限られた供給量の分け前は受ける立場になるべきではない。並んでいる、という状況はすなわち、需要>供給 という需給バランスの崩れを最も明示的に表している。
外に出て状況を見て、情報をキャッチすると、自分のとるべき行動コンセプトが徐々に明確になってくる。
なにしろ昨日を境に、この地域では見た目の地震による被害にとどまらず、人の価値観までが一変しているわけだ。これまでの人生経験で培われたこれまでの日常の行動コンセプトなど何の意味も持たない。この24時間程度で得た情報を処理し、白紙から考え判断する必要を痛切に感じた。

市街の中心部に着くと、自動販売機が通電しているところを発見。ここには人だかりができていないので、1000円分くらい飲料を買い込む。
そして、その近辺の人と「はなす」どうやら、市街中心部に行けば行くほど、電気は復旧しているようだ。
実際、ある大通り沿いは電気が復旧していたり、自家発電しているビルの近辺は電力が生きているようで、そういうビルのトイレのコンセントを発見して、携帯を充電。そして充電して電源を入れるやいなや、すぐさま「画面の明るさ」を最低まで落とす設定変更をする。もちろん、電池消費量をできるだけ抑えるため。

なぜ電力が回復できる場所を見つけたのに、すぐに設定変更などするのだろうか?
それは、1分後も電力が手に入るという保障を感じられないからだ。昨日から、とても余震とは思えない大きな地震が頻発しており、またいつ停電になってもおかしくない。現場では「今手に入ったものが、今後も継続的に手に入る」という保障は全く得られないなかでこの後数日は生活しており、このあたりの感覚が、報道で見ている人との一番の感覚のズレだったのかもしれない、と、後日感じた。

さて、携帯が復活したところで、やっと情報活動を開始。まずはメールと着信履歴のチェック。案の定、心配する旨のメールなど。
実は、昨日の帰りに公衆電話を発見し、その時点で「無料で通話できる状態」になっていたため、親戚のひとりには電話し、そこから関係者に連絡するよう頼んでいたため、そのへんは全部スルー。
あとは、学生時の友人など。これも、当時の部活のキャプテンが安否確認の指揮をとっており、1名にのみメールすればよいという段取りがすでに取られていた。と同時に、他の連中の安否もだいぶわかった。当事者間で無駄に連絡を取り合うとかの不毛な行動は全く必要なく、さすがに能力が高い。一方、親戚に類する人たちからは、個別に着信履歴やメールがあったりとかで、若干残念な気分になる。気持ちはわからなくないが。
地震発生から24時間程度。この時点では通信という資源も貴重なのは、正月のメール制限とか見れば明らかなわけで、無駄にメールするとかは罪だという意識が普通の感覚だろう。現に、「不要・不急の連絡は避けてください」というアナウンスが、ラジオはじめどこかしこでも聞こえていた。
そして、やりこみ関連。ホームページを見ている方で、安否を気にしてくれている方がいるかもしれないので、ちょっと考えて1名のやりこみ人に連絡をすることにした。ここで関東の情勢とかを手短に聞けたのは収穫だった。どうやら原発が関心のメインらしいと知り、もう現地とその他で関心がズレてきているっぽいなあと予感する。
これで一応「僕から発信すべき」安否伝達は済んだ形に。
安否確認の通信に関連しては不要のことは一切しない。そもそも、無事な地域に住んでいる人が心配だから連絡してくる、という行動は、少なくともこの時点では自分本位のわがままであり、単に自分が安心したいという一種の甘えであると僕は考えている。被災地の人間に対し、安全な地域の人に安心感を与えるという優先順位の低いであろう行為を要求してはいけないだろう。連絡する前に、それが現地の貴重な電力と通信資源を消費させていることに思いを馳せてほしい。 連絡が来ないことを、別に薄情だとは思わない。実際、日ごろの僕と親交が深い奴ほど、このときは僕に連絡してこなかった。先の高校の友人など。分別のある友人を持てたことを誇らしく思った。

安否確認は簡潔だが、逆に現地の人間同士のコミュニケーションは密に行ったほうがよい。当面は、現地の各家庭などで偏在しているあまった資源を有効に生かすのが最善だからだ。もっとも、僕が提供できるのは、現時点では肉体労働と当面の戦略立案という頭脳労働くらいだが。
そう思って、昨日いっしょにいたスタッフに連絡。ねこが家の押入れでまるまっており無事に発見されてよかったとかで、いたって元気である。
とりあえず、ある地点に集合し、各自発見した電力ポイントや給水ポイントなどの情報を共有。べつに打ち合わせしたわけじゃないのに、みんな行列のできるポイントとかはスルーして別の場所を探しているのは面白い。電気がなくて、冷蔵庫のものが腐るとイヤだから、カセットコンロでカレー作ってたとか、平然としている奴を見て勇気が湧いてくる。サバイバル能力の高い仲間が近くにいてよかった。どうやら平地だと水が出る地域があるようだ。
このカレーを作ってた奴に、灯油用のポリタンク2個を借りて、水をつめこむ。これでトイレの水は1回分くらいにはなる。灯油が混ざるので飲むことはできないが、飲む分は自販機で調達できた。
あとは情報。携帯用ラジオを他のスタッフにありがたく借りる。そして電池ももらった。あと、備蓄していたらしい缶詰などもいただいた。
夕方になり帰宅。この時点で電気が復旧していない以上、日が暮れる前に家に帰りたい。
帰り着いた段階で、ふもとまでは電気が復旧していることがわかる。近所の人に聞き込んだところ、どうやら僕の住んでいるあたりも明日くらいには復旧しそうとか。アテにはできないが、若干安堵する。
当然のことながら、家は寒い。暖房器具は電気を必要とするものしかないからだ。
そして、まだ大して眠くもない。家にいても、使える照明は自転車のライトだけなので、ラジオを聴いているくらいしかすることがない。
ラジオを聞いていると、どうやら町に出れば本を読めるくらいのところはありそうだったので、もう一度町に出てみる。本棚から崩れていた本のうち、「プレートテクトニクス」と題した本があったので、それをひっつかんで再び街へ。仙台はまだ原子物理のタイミングではない。
最近できた「仙台で一番高いビル」の下に行くと、人が集まっていた。電気が通っており、携帯の充電用に、コンセントを無料開放していたためだとわかる。そこそこ明るいので、ラジオを聴きながら、本を読む。

報道の内容は、主に2点。津波の被害の状況と、原発の状況。津波のほうはリアルすぎて耳を覆いたくなった。いまだ孤立して連絡を取れていない避難所がいっぱいあるとか、でも今日は寒いので凍死の危険があるとか。原発関連ニュースは東電とか官庁の対応とか発表とかで、状況はよくわからない。

しばらくして、寒くなったので家に帰る。家も寒いが、布団のある僕は凍死せず明日を迎えられることを幸せに思う。
ラジオを聴きながら眠る。
その中で、今日ずっと感じた違和感が何なのかが具現化してくる。
いまだ孤立して連絡が取れない凍死の危険がある人たちにも、このラジオを聞いている人がいるのだろう。その人たちが聞きたいのはこういう内容なんだろうか。身の回りの品を使った防寒方法とか、眠くなったらどうすればいいとか、水が限られている場合はどのくらの間隔で飲むのがいいとか、そういう生死を分けるアドバイスを延々と放送できないものだろうか。
僕に関して言えば、このとき欲しかった情報は、給水ポイントの紹介とか、営業しているスーパーの紹介とか、電気復旧の計画がどうなっているとか、そういう現実を切り抜けるために必要な情報だった。と思うと同時に、自分の気にしている事柄から考えて、僕自身はもうだいぶ安全な状況なのだと自己認識させられる。

つまり、このラジオが提供している情報は、現場の人間に必要な情報とはズレているのである。どうしてそうなるのだろう。
僕と同程度以上の被災状況の人口が仮に200万人としても、それは日本の人口の1/50に過ぎない。情報の渇望度は高いが、少数派だ。マスメディアは多数派の興味を意識したつくりになっている。でも、安全な多数派が欲しい情報は、直近の興味を満たし、直近の株価には影響を与えても、直近の現場の助けにはならない。
報道されるコンテンツの選択に対しては、僕はこの時点から失望感を覚える。現地ですら、情報を渇望している少数派へのコンテンツが提供されないことに対して。
この期に及んでも、安全な多数派の興味を満たすコンテンツを優先して作成しているように思えた。なるほど、原発のわかりやすい状況説明と記者会見の模様を伝えなければ、日本の人口の49/50の人から、報道の義務を果たしていないとバッシングされるかもしれない。でも、その内容は、明日の新聞でも間に合うタイムスケールじゃないのか。
その情報がほしい人たちは、明日の朝も生きているのだから。

そんなことを考えながら、ラジオをつけっぱなしで寝る。
相変わらずのニュースと、緊急地震速報と、その合間に、現地の安否確認メッセージが流れる。
「○○です。無事です。生きていたら連絡ください」というようなのが、延々と。
もし、いまだ孤立して連絡が取れない凍死の危険がある人がこのラジオを聞いていて、せめて○○だけは無事であってほしいと願っていたのなら、この1件安否情報は、その人に大きな感動と勇気を与えるだろう。
安否確認とは、こういう形で価値を持つものだと思う。
情報発信の方向性は、「自分よりも危険な状態の人」を助けるものであってほしい。少なくとも、この段階では。

この日の教訓:
・復旧の順番は、電気→水道→ガス
・外部地域からの認識のズレが大きい 報道の影響が強く出る
・安否確認の作業増大など、善意に見える足手まといは確かに存在する
・自助→共助→公助 の共助にあたる部分が絶大な力を持つ。震災2日目
・情報が本当に必要な人には情報は届かない


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