右弐の日記   ※2008年より、この日記内にはゲーム・映画・小説等の、ストーリーに関するネタバレ記述はありません

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活動状況:
 ◆ ドラクエ5(PS2版)スロット回転速度・乱数消費速度 (2012.11.04)
 ◆ ドラクエ5(PS2版)スロット出目表 (2012.10.27〜)
     (◆◇個人活動  ●○外部へのリンク等)
装備アイテム:
  Dropbox オンラインストレージ 説明:DropBoxマニア 
  アナログ振動パッド2 TURBO  PS2用コントローラ
  PS2版 ドラクエ5 定価¥2,940 (アルティメットヒッツ版)

 色分け凡例 :  ドラクエ・ゲーム ←中間→ 情報処理 ←中間→ リアルライフ ←中間→ ドラクエ・ゲーム

21:00ころ:
ゲーム終了。紅白を流しながら、ひとりで今年の反省でもしときます。
では皆様、良いお年を。

13:30ころ:
走って帰宅。紅白まで時間あるから、今年の活動をふりかえりつつ、最後のドラクエをやろう

正午ころ:
年内にやることは片付いたので、外でも走ってきます。走り納め。
小雪が舞ってていい感じです。今年は走りこみだけはちゃんと続いたな。

クリスマス。サンタさんがんばれ!
ふと、自分がサンタクロースだったらと想像してみて、数秒でぞっとする。無理だ務まらない。
だって、全国の子供たちが短冊に「れんしゃまんまミーヤ2がほしいです」とか書いてて、こんなの100件あったらさすがに調達に心が折れます。心躍る配達ミッションまでたどりつけない。・・・いや、100人もいないか。だいたい短冊制度でもないし。
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ともかくも、サンタが務まらない僕には連射まんまミーヤは配れませんが、ドラクエ5のRTAプレイヤーに、1秒くらいプレゼントしておきます。クリスマスツリーにちなんだ短縮技。 内容は、PS2版ドラクエ5日記の今日の部分にて。

寒い。寒すぎる。ちょっと早いだろ。

「寒すぎる」と書いていて、以前、仲間内で「too〜to〜構文」の日本語版が流行したことを懐かしく思い出した。
ネガティブな表現はよくないから、否定的なことを言わないようにしよう的な流れか何かだったか。
たとえば、隊長に向かって「寒すぎて進軍できません!」と言うんじゃなくて、「進軍するには寒すぎます!」と、too〜to〜構文の日本語版で言ってみようという話。
考えてみると、部下から前者の形で言われた隊長は、のめのめと主張を飲むわけにもいかず「それは貴様の根性が足りないからだ!黙って3マス進軍しろ!」と一蹴しかねないであろう。これに対し、気象庁の観測データ片手に後者で進言すれば「ふむ。それもそうかもしれない。司令部に掛け合ってみるから安心せよ」となりそうだ。
前者は「人間」が主語になっている。対して、後者は「気象」が主語で、進軍できませんというメッセージはわきに置きつつ、さらにそれを否定語を使わずに表現している。この辺が上手いところなのだろう。
つくづく、表現というのは無視できない結果をもたらすものだ。だから、内容より、表現で悩むことがよくある。
表現という情報の冗長性は、使いこなすには奥が深すぎる。

米長邦雄さんが亡くなった。今年初頭にコンピュータと対戦していたのが印象に残っている。
将棋の解説も面白かった。もっとも、僕は将棋に詳しくないので、将棋の内容は大して理解できないんですが、米長さん自身の頭の回転の速さや考え方が垣間見えるのは楽しかった。解説を聞くと、将棋はともかく、米長さんがわかる。それが楽しかった。冥福をお祈りいたします。
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この「AさんのBについての叙述から、Bについてわかるのかはともかく、Aさんという人物はわかる」というような話を、何かで読んだ。この日記なんか書いていると、諸刃の剣のようで結構怖い話であるが、真理だと思った。
このサイトでは何かを説明しようとする試みはよく行っていますが、その内容が伝わるかはともかく、僕という人物(の能力の限界)については伝わっているのだと思う。ただ、それを理由に躊躇していてはゼロになってしまう。能力はほしいが、覚悟が必要。
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逆手に取ると、頭のよい人が書いたものを読めば、その人についていくらか理解できるはずだ、と気づく。
書いてみるとえらく当たり前のことなんですが、1週間ほど前に大発見をしたかのようなテンションに陥った挙句、この作戦の決行を決意。 文豪たちのプロフィールを見つつこれは森鴎外だろと思ったのですが、「舞姫」の文体が頭をかすめ危険を感知し反射的にこれを回避、リンクをたどって安部公房へ行きつく。
「砂の女」を読みました。普通に読んで面白かった。ただ、将棋だけでなく文学の素養もない僕には、はたしてどこまで理解できたものか。伏線が次々と回収されているのは理解できた。頭の良さがひしひしと伝わってくる。そして、作品を通じて伝えたいメッセージがあるということもわかる。
伝えるべき主題をストレートに表現するよりも、将棋とか文学作品とか文化の薫り高い系のものにさりげなく添える形が、「伝わる」効率を最適化することになっているのかもしれない。そう思わされる。

で、書いていて思うと、「米長邦雄さん」と書き、「安部公房」と書いている自分がいる。別にそれに違和感はない。このへんどういう場合に「さん」とかつけるのか、考えるとよくわからない。ただ、亡くなった後に一定期間が経過すると、ひとは歴史上の人物になっていくことは感じる。「織田信長さん」とか言う人いないもんな。
と、喪失感の強い日記が続いてる。なんだこの流れは。

さて、日曜の残念な気分から立ち直り。ええ、まあつまりそういうことです。
僕はどちらかというと、変化よりも安定を好むタイプの人間であるため、選挙に関しては期待感よりも喪失感の方を強く感じるのだと自己分析して一段落してます。民主党の議席数の大幅減少を伝えるニュースは、何か大きな建造物が瓦解する映像を見ているような感覚だった。
ベースが安定する方向への変化に期待していますが、どんなジャンルでもそれが難しい仕事なのだと思います。

選挙の話。まだ午後11時ですが、民主が大敗することはすでに確定しているようです。
個人的には、民主党は「子供手当て」と、「震災直後の対応」が良くなかったと感じています。
「震災直後」は実力の問題だからしょうがないとしても、子供手当は僕にはいまだに意味がわからないです。本当にヤバい家庭というのは、親にお金が渡ってもダメなので、直接子供にわたるようにすべきだとは思う。お金という形でなくてもいいから。
もっとも、そもそも子供のための手当ではないのだと解釈しているので、期待する機能の方向を僕が間違えている気もします。

ここ数回の総選挙を見ていて、昔と比べ票が一気に寄りすぎることにびっくりしています。小泉さんのときから、前回の民主党も、今回も。数年単位で、みんな手のひらを返したように偏る。判断の情報のソースが画一化しているのだろうか。
票の動きを見て、怖さを感じています。世の中に対して。自分も飲み込まれているかも。

民主党の大敗に「自業自得だよ」と他人事のような感覚の人が大勢いそうなことにも怖さを感じています。気のせいならいいのですが。3年前に民主党に投票していない人はともかく、3年前に民主党に期待して投票した大勢の人は、政権を取らせた判断が今回の総選挙で国民に否定されたわけですから、3年前の自分の先見の明の無さを残念がる流れである。今日は近年稀に見る国民の残念な日で、みんなで3年前の反省会をそこらでやっていてもおかしくないレベル。投票するというのはそういうことだと思っています。

本を読む件について。年末編。
読書にあたり、目標としてよく立てがちなのは「毎週、1冊読む」という形式のもの。
この形式だとなかなかうまくいかない。少なくとも自分は。
考えると、「読む」という設定そのものがあいまいなのだ。流し読みでもいいのか、はたまた、しっかりと理解しなくてはいけないのか。

そこで、新しい目標の立て方の提案である。「毎週、1冊捨てる
あと1週間で捨てるとなると、各自それなりに読むなり理解するなり計算するだろう。そして、時間の制約があると、どうでもいいところは読み飛ばすしかなくなるため、情報収集の効率も結果として上がる。そして本棚のスペースも空く。
長く続けると、どんどん手持ちの本が減っていき、「それをすてるなんてとんでもない!!」的な本ばかり手元に残る。すると、捨てるためにまた本を買いに行くしかなくなるので、結果として新しい本を「週に1冊以上」読むことになる。
もちろん、毎週のところは、毎月でも、毎日でも、なんでもいい。入口ではなく、出口でカウントするということです。

つまり、人は「捨ててもいいと思えるライン」については、個人個人でけっこう明確な基準を定めているもので、この基準を利用しようという発想です。
これに対し、「本を読んだといえるライン」なんてものは、その本の特性にも依存するため統一で設定できる気がしない。それなのに、あたかも設定できるかのごとく「夏休みは5冊本を読みましょう」なんて小中学校で言われるから、真面目に考えるほどわけがわからなくなるのである。本を読むのはそもそも手段であって目標としては適さない。そして「内容を理解したか?」などと考えるよりも「もう捨てても大丈夫か?」を自問するほうが、よっぽど理解度も実感できる。

さて、この目標を立てた場合の弊害。それは本の選択。内容的に重要な本ではなく、内容の「軽い」捨てやすい本にばかり手がいってしまう。
ただし、すでに本棚に並んでいる本に対しては、この点すら逆手にとって利用すべきだ。本棚に並んでいるその手の「軽い」本も、自分が以前、読もうと思って手に入れ、そこに並べたことは確かである。それなのに、まだ読んでいない。とすれば、こういう「捨てる」というプレッシャーでもかけない限り、そいつらを読む機会なんて生じないではないか。
そして、年末である。大掃除の一環として、余計なものを減らして新年を迎えたい。捨てることそのものの持つ褒美の意味が増幅されてるよキャンペーンの時期である。読み捨てるに絶好のシーズンだ。

対して、新たに買うときは、この目標だけに縛られないほうがいい。捨てる前提だと、高い本が買えなくなる。苦笑

サイトのパスワードを紛失して、更新できず。
fc2の運営に問い合わせたらすぐ対処してくれた。対応が良く助かりました。
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先日の地震。津波警報が発令されたが、アナウンスの形式は「予想される津波の高さは1mです」だった。
まだ「予想される水の量は、海岸1mあたり1万トンです。プール約10杯ぶんです」っていう形式にはなっていないようである。
いつ、こういう形式になるのだろう。なることは確信してるので、気になるのはそれに何年かかるのか。
何の事だかわからない方は、2011年4月頃の日記を参照のこと。

ある定食屋には定期的に行く。なぜなら、そこに体重計があるからだ。
で。体重がついに念願の目標ライン「77.777kg」を切った。次の目標ラインとして思い浮かぶのは「55.555kg」だが、僕の体格的に、これはやらないほうがよさそう。
ていうか体重のコントロールなんてノリでやるようなことではない。命に関わるので決して真似しないように(しないよ
ここ15年間の最低体重が77.777kgだったので、そこに戻そうとしてただけです。かつての体重計に有効数字が5ケタもあったのかは定かではありませんが。

今年は夏場を中心に近年になく走りこめたのが良かった。下半身が軽く強くなった気がする。ダッシュしてもどこも痛まなくなった。サンマの季節が終わりアイシングが困難になってきていただけに助かる。
べつに監督から「来年は盗塁を増やせ」とか言われたわけではなくて、単に体調管理です。この10年くらいサボっていたので、去年あたりから不安になりました。日常で効果は顕著に感じており、立ち読みしてても疲れなくなった(そこか)。そして、不意に変な体勢になっても、足をくじいたりひねらないような安定感があるので、リアクションを大きくとるなど、体を張った立ち回りが可能となった。
・・・そんな効果どうでもいいよと思いますよね。自分でも今そう思いました。

これからの時期、北国は雪が降ると走りにくい。上半身の筋トレに切り替えようかと思う。肩の筋肉が落ちると、立ち読みしているときに肩掛けカバンがずり落ちるのが良くない(またか)

よく、ダイエットというと、「運動で消費できるカロリーなんてたかが知れているよ」と言う人がいますが、僕は運動の効果はそこではないと思っています。
仮に、300kcal減らすとして、食事で200kcal、運動で100kcalとする。
このとき、運動して多少はしんどい思いをしていると、「せっかく運動したのにもったいない」という心理が働くぶん、食事の200kcalも我慢が利きやすくなる効果は大きいと思っています。

何にでもこういう「両面作戦」のメリットは存在していると思います。
RTAで3分短縮しようとする場合、練習で2分、戦術改善で1分だとしても、戦術の1分が閃けばそれを引き立てるために練習もやる気が出てきます。
僕は良くも悪くも、この種の「もったいない」という心理が比較的強いようなので、逆手に取り利用したほうがいいんだろうと思っています。自分をうまくコントロールするのは未だに難しいです。

これを書いていて思い出したのが、かつてカール・ルイスがシューズ職人(?)と相談してたときに言ったとされるコメント。
100m走のシューズに関して、ルイス曰く「僕が練習で0.05秒縮めるから、君はシューズで0.05秒縮めてくれ」
他者を巻き込んだ、かっこよすぎる「両面作戦」。さすがにレベルが違いすぎる。

時間がないので新幹線で帰宅。と気づく。新幹線の駅に自転車止めてないのは不便極まりない。何事も一長一短か。

駒場祭へ。ゲーム研究会の企画のリカバリーTAを見にいった。

観戦するまでも油断してはいけない。今回はJR東日本に辛くも勝利した。その一部始終をお届けしよう。

開始が夕方と、時間があったので、電車で行く。3連休のせいか、気付いたら高速バスが埋まっていたのが甘い。
仙台駅ではなく、その次の隣接する長町駅から乗車。駐輪場が広くて使いやすい。
とりあえず、1000円で買える上限の切符を買う。目的地まで買わないのは、乗り継ぎの途中に駅構内から出たくなったときの備えであり、1000円で買うのはキセル狙いではないかと駅員その他に疑われた場合に、なぜその金額をとりあえず買ったのかが説明しやすいから。ただ、疑われたことは一度もないことをJR東日本の名誉のために申し上げておく。

さて、山手線某駅に到着。この距離の精算は、精算機でははじかれるので、いつも窓口になる。
毎回のことだが、このときの駅員の対応がけっこうおもしろい。
右弐「精算おねがいしまーす」
駅員「はい・・・んっ! (駅名を見て)これは・・・仙台のところだよね?」
右(お。なかなかやるな)「そうです。すみませんわかりにくいとこから乗って」
駅「いやいや・・・。さて」(分厚い時刻表みたいなやつを見て調べる)
右(お。アナログな手法だ。まあ精算機にはじかれるヤツなんてそういないだろうからな。
  ちなみにさっきYahooで調べたから総額で5670円だって知ってるもんね)
駅「総額6100円だから・・・」
右「えっ! ちょっと待って。 さっきYahooで調べたら総額で5670円だったんですけど!」
駅「え。そうなの。うーん(また分厚いやつをみつつ)じゃあ、それでいいよ。
  5670円だね。(電卓をはじいて差額を計算)はい、これで」
右(・・・これは豪傑だ。完全に押し負けている。だが、400円多く払うところをYahooに救われた)
右(おとなしく支払う)
駅「各駅で来たの?」
右「え?(押されてる) あ、各駅かどうかは知りませんが7時間乗ってましたー」(いやー楽しかった的な雰囲気で応戦)
駅「それはお疲れさん!」

【わかったこと】麻雀の点数と、JR東日本の運賃は、自己申告が最強。(ただし対戦にコンピュータが介在しない場合)


で。観戦。やっとここから駒場祭の話し。
えぐちさんは相変わらず強いし、イリアスさんの画面には相変わらずはぐれメタルとか出てくるし、(オーガシールド)を回収したのが対戦的に印象的でした。企画の運営は、2010年のドラクエ4の時点でほぼ形が完成したと思い当時は見ていましたが、今回もそれを踏襲しており安定感がありました。そのときの観戦記と同じような感想です。 そんなに特筆することはない気がするのは、企画やプレイヤーのレベルが高いことに対し、僕が慣れてきてしまっているのだと思います。
問題の概要と、想定解についてはけい坊さんの日記11/23が現時点で詳しいです。それ関連の具体的な話は PS2版ドラクエ5日記 にて。

そしてリカバリーTAが終わってからの展開が想定外で面白かった。
マリオ二人羽織という企画があったのですが、時間はわずか5分。この5分は笑った。解説が面白く、また、ゲームの展開もスピーディーで面白い。最後は「同ステージ進行」だった場合の特殊ルール「コイン枚数」で勝敗が決したのも面白かった。改めてスーパーマリオというゲームは段違いの存在なのだなあとも思わされました。
また、この企画をオチとして配置した点と、その機能を果たすためルール設定等の必要な準備をしていた点に感心いたしました。最後時間が押してたとえ5分でも機能した点にすべてが凝縮されていると思いました。

関係者の皆様、お疲れ様でした。1時間半程度ですが楽しませていただきました。

スロットは一段落。スロット回転速度・乱数消費速度のページに調査結果はまとめました。
やっとこれで、普通にドラクエできると思ったんですが、なぜかもうだいぶ飽きました。お腹いっぱいの感覚です。

ラジオで日本シリーズ。聞きごたえのある試合展開だった。見ごたえもあったものと拝察する。
なんか、語彙力が増えたような気がします。日本語のリスニングで表現力が向上。
視覚情報を捨てて、初めて得られるものがある。と、スロット見ていた奴が言っても説得力はない。


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